神ごころの強い人

山本三和人

 イエスは荒野に導かれて悪魔の誘惑を受けられたとき、まずパンの誘惑を受けられました。お腹がすいている人には、路傍の石もパンに見えることを悪魔は知っていたようです。次にイエスは悪魔から権力へ誘われました。人が権力に弱いことも悪魔は知っていました。最後に悪魔はイエスを奇蹟に誘いました。ふだん貧しく弱い立場にある人は、奇蹟に憧れることも悪魔は知っていました。イエスは人間の弱みをついた誘惑の全てを拒否し、誘惑に打ち勝たれましたが、この荒野における誘惑のお話は、私たちに真実の理解には主観を交えない史実な観察が必要であることを、教えているように思われます。人はそれぞれの置かれた立場において、それぞれ異なった期待をもち、、 違った願望をいだきます。そして異なった形の夢を見ます。空腹の人の目にはパンを携えてくる神の姿が見えるでしょうし、貧しい人の目には、神の顔が小判にみえるでしょうし、弱い人の目には神は権力を授けてくれる者に見えるでしょう。すなわち、自分の心で描いたり刻んだりした偶像に仕えるようになった人々は、宗教心の乏しい人々ではなく、むしろ熱心に神に仕えていると思っていた人々でありました。全くの無心論者よりも、神ごころの強い、そして宗教心の深い人々のほうが、神ならざる神に仕える危険にさらされています。神を誘惑するに当たっては、いささかの主観の働きもあってはなりません。

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