神は見えない存在

山本三和人

 時間の制約下にある私たち人間に、時間を越えた永遠の力や神性は解りません。また、相対性の制約下に生きている私たち人間に、絶対者なる神の本質が理解できるはずがありません。このことを無視して、人間の浅い知恵で神の存在を確かめることができないからといって、神の不在を断定したり、その反対に、宇宙にある整然とした法則や秩序を見て、それがひとりでにできたと考えられない。きっとこれを設計し創造した神があるに違いないと考えて、神の存在を断定したりすることを私たちはいたします。すなわち、私たちは自分のよっては神の存在はおろか、その不在も確かめられないということを忘れたり無視したりして、きわめて軽率に神の存在や不在を断定しかねません。そのことがパウロの言う「不義をもって真理をはばむ」(ロマ1:18)ことです。またそのことが「神の栄光を変えて、朽ちる人間や鳥や獣や這うものの像に似せる」ことです。またそのことが「神の真理を変えて虚偽となし、創造者の代わりに被造物を拝み、これに仕える」ことです。神は見えない存在であり、人間の知解に余るお方であるのに、人間の知恵でその存在を確かめることができると信じて有神論を唱えたり、人間の視野や認識能力の中に神の姿が入ってこないという理由で無神論を主張したりすることは、まさしく、神を被造物化することであり、被造物を神に祭り上げて人神を誕生させることになります。

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