神なき世界
山本三和人
近代人は神に代わって自分自身を中心として生きはじめましたが、いつも何かにとらわれて、片時も自由ではありませんでした。夏目漱石は、知恵を求める生活にも情に身を委ねた生き方にも、意志によって道を選びながら歩く人生の旅にも、そこにあるものは自由ではなく束縛であることを悟って「どこかへ引っ越したくなる」と言いましたが、知恵を求める生活にも、感情に身を委ねた生活にも意志に従う生活にもいきずまったファウスト博士も、ビアトリスの霊に導かれて「いと高き所」へ引っ越してゆきます。神なき世界に自由はありません。讃美歌に「主よ、われをばとらえたまえ、さらばわが霊は解き放たれん」(333)とありますように、人間は神にあることによってのみ、自由になれるのです。近代史そのものがそのことの証です。私たちは現代を生きていますが、現代の様相を見ても、現代人が主体性を確立して、自由を自分のものにしているとは思えません。科学の進歩は著しく、文明の高揚は、私たちの期待をはるかに超えています。確かに便利になりました。しかし便利になったということは、自由になったということではありません。人間の主体性が確立されなければ、自由になったとは言えません。心に言いようのない不安を覚えながら、自由であることはできません。この憂うべき世界の現実を見るとき、神なき世界に、人間の自由もなければ幸せもないことがわかります。