からし種一粒ほどの信仰
山本三和人
「からし種一粒ほどの信仰があれば、この山に向かって『あの海に入れ』と言えば、必ずそのとおりになるであろうと言ったのは決して嘘ではない」(マタイ17:20)。イエスのこの言葉は私たちに厳しい自己反省を迫ります。果たして私たち人間がこの言葉を、真実の意味において信じることができるでしょうか。信仰は絶対的な力です。信仰に不可能はありません。あの小さなからし種一粒ほどの信仰でもあれば、私たちにできないことはありません。しかし、私たち人間は神ではありません。私たちは相対性の衣をまとうたものであり、その力をいくら集めても、どのように鍛えても、改善しても、絶対の力となることはできません。すなわち、私たち人間には、自分が着ている相対性の衣を脱ぎ捨てる力はありません。「信ずれば救われる」ということは嘘ではないけれど、私たち人間は、自分の力で神を信じることはできがないのです。信じることできないということは、神になることはできないということです。「からし種一粒ほどの信仰があれば」の一言で山を海の中へ移動させることができるという教えは、信じようとしても信じることができない私たち人間の悲しい現実に、私たちを目覚めさせて、「何人も聖霊によらなければ、イエスは主なりと告白することはできない」という、恩寵の世界へ導くための教えであります。