行動の源泉

山本三和人

 「私は私自身を何者にも代え難く愛することから始めねばならぬ」とは有島武郎の言葉です。自己愛はキリスト教会では悪徳として戒められていますが、人間のすべての行動の源泉とされています。すべての行動の源泉、すなわち人生の出発点における偽りは、そこから始まる人生のすべての領域に感染します。なるほど、イエスの教え子の中には、「自分の命を得ようとする者はこれを失い、わたしのために自分の命を捨てる者はこれを得るであろう」という戒めがあります。しかし、戒めは戒めです。たとえイエスの戒めであっても、否、イエスの戒めであればこそ、いっそう厳しい戒めです。しかし、戒めはこれを守ることによってのみ確立されるとしたら、戒めは永久に確立されません。従って、誰一人救われる者はありません。人は誰でも戒めに背いた生を営んでいるからです。戒めを確立して救いにあずかるためには、キリストにある神の愛と恵みの光を当ててみる戒めは、私たちの真実の姿を映しだして見るための鏡のようなものです。キリストの「あなたの敵を愛しなさい」というみ言の鏡に映る私たちの姿は、その戒めに背いている姿です。それは「他の何者よりも自分自身を愛している」私たちの姿です。

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