人間愛の常識
山本三和人
人は近い者(身内の者や味方)を愛しはしますが、遠い者(敵やあかの他人)を愛することはしていません。これが人間愛の常識です。しかし、この常識が問題です。人は本当に近い者を愛しているのでしょうか。親子でも、近くいすぎては尊敬し合えなくなり、愛し合えなくなることがあります。それは親が親である前に、人間であることを忘れているからです。人間である前に親になりすまして、人間として振舞わずに親として振舞うことは、往々にして子供に親の実像を隠し、親の虚像を示すことになります。親の虚像を実像と取り違えて親を偶像視する子供が出てきます。偶像が台座から落ちて子供が悲しむことを避けるために、親は実像を隠し、自分の虚像を掲げます。これは近くいすぎて自分の実像を見られると、子供の愛と信頼を失うことを恐れるからです。人は遠くからしか人を愛することができない、つまり虚像しか愛し得ないのです。別の言葉で言えば自分をしか愛し得ないということです。人が他者を愛する場合は、絶対者として愛するのではなく、他者の中の自分を愛することに他なりません。人間が愛しているのは自分だけであって、絶対者への愛は欠落しています。人間は人間の虚像をしか愛し得ないし、愛していません。このような人間愛の現実を知らされた者のみが、キリストにかる神の愛に心を開きます。