野獣

山本三和人

 フランツ・カフカは「全ての人間は日本の鎖に繋がれている」と述べています。天の鎖と地の鎖です。人間が神に憧れ、自ら神の位に登ろうとすると、地の鎖がそれを阻みます。地の鎖は、天国に届かないようにその長さが制限されています。逆に、人間が野獣の世界に足を踏み入れようとすれば、天の鎖がこれを妨げます。天の鎖は、野獣の世界には届かないように調整されているからです。この天の鎖と地の鎖を食いちぎったのが、私たちの中に住む野獣です。そして、この鎖を切って抑制の利かなくなった野獣のことを聖書は[罪]と名づけています。ですから罪は人間の手に負えません。罪は飼いならしたり、締め出したりすることができるほど粗野な野獣ではありません。罪と戦って勝ち目のある人などいたためしはなく、これからもでないでしょう。罪とはげしく戦って敗れたパウロは申します。「わたしの内に、すなわち、わたしの肉の内には善なるものが宿っていないことを、わたしは知っている。なぜなら、善をしようとする意思は、自分にはあるが、それをする力がないからである。すなわち、わたしの欲している善はしないで、欲していない悪は、これおを行っている。もし、欲しないことをしているとすれば、それをしているのは、もはやわたしではなく、わたしの内に宿っている罪である」と。彼がどんなに真剣に内なる罪と戦い、どんなに惨めにその戦いに敗れたかが解ります。

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