「四季における聖餐式」


赤羽 豊

(「LOGOS No.9」1990年)

 教会における聖餐式は通常月一回だが、「四季」ではほぼ毎週が「聖餐式」である。「四季」はめじろ台駅近くにあるお好み焼き屋さん。ここの「ママ」はなかなかの美人で、お店の雰囲気も良い。毎週、教会の礼拝後や、「聖書の集い」が終ると、遠路はるばる山田まで来たのに、2時間くらいで別れてしまうのは勿体ないと、家に帰りたがらない悪童共がほうぼう探してビールや酒を飲む所を見つけたのがこのお店である。

 「ママ」が美人で、アルバイトの女子学生は真面目で可愛らしく、お好み焼きや焼きそばを肴に飲む酒は格別、加えて安いときているから言うことなしのお店。
 今やすっかりこの店の常連となった悪童の仲間は袖野兄、白築兄と私のレギュラーメンバーに、随時2〜3人が加わり、ビールを「ワイン」に、お好み焼きを「パン」になぞられた訳ではなかろうが、袖野兄が名づけた「聖餐式」を楽しんでいる。

 この席ではビール、酒をやりながら袖野兄の「神学」を拝聴したり、白築兄の語る教会イベントについて論議したり、また小生は無責任役員だ、やる気がないと叱咤されたりの騒がしい酒席である。

 夏に、少しばかり健康を害して礼拝を休んでいた時は、美人のママを張り合っている袖野兄は「赤羽さんはくたばりそうだ」とママに冗談を言って、ママを心配(?)させたり、私が元気な姿を見せた時は、「まだ足がついているよ」と応じたり、言うなれば気軽なロゴスの「第二別館」のようなものである。

 また、会報「ロゴス」の編集についても議論が交わされたがり、いろいろなアイデア生まれてきたりで、「第二別館」の存在は見逃せない。

 年末には「聖書の集い」の「忘年会」をこのお店で開き、皆さんと大いに楽しんだ。袖野兄も私もママの大ファンである。教会の「聖餐式」もさることながら、より良き「ノミニケーション」の場としての「四季」での「聖餐式」を特別なことがない限り、休むわけにはいかない。

 小さな「四季」は、めじろ台の駅前広場の向かいの2階である。

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