私とロゴス教会

熊野 多加子

(95.11.10記 ロゴス宣教双書U) )

 私は昭和19年山梨に疎開しました。戦争は勝つと信じ学徒動員や毎日のように師範生を戦地に送りました。今の若者たちには考えられないことでしょう。勉学を放棄し、河原から砂運びをさせられ、教練では裸足で炎天下を走らされ、厳冬にコートも着られず、雪の中を神社に薙刀千本奉納とか、米兵が来たら竹槍で突く練習等も行いました。過去のことを考えますと、祝日に国旗を出したり、君が代を歌ったりはどうしても出来ません。誤った教育を受けた私どもの年代は被害者であり、加害者だと思っております。

 平和の長く続くことを祈っております。
 その山梨で、前の家がクリスチャンでした。初め夕礼拝に出席しておりましたが、軍国教育を受けた私には異様に思われました。

 東京に来ましてロゴス教会に廻りあい、山本先生より「見ずして信ずる者は幸いなり」のお言葉をお聞きして29年に受洗致しました。
 青年部時代は、日曜学校のお手伝いや、クリスマスには寸劇をしたり、上野の山でおにぎりを浮浪者の方々に配ったり、ハンセン氏病の方々や高田の馬場の子供の施設を訪問して語ったり、礼拝後は、皆でチャペルセンターやクラシックを鑑賞する等多くの兄弟姉妹に恵まれ、有意義に過ごさせて頂きました。

 婦人部では、神谷先生や羽生先生に聖書を通してお導き頂き、子供の成長を祝う会、那須や長野の修養会など良き思い出となりました。

 八王子に移って12年、有能な皆々様に多大なご奉仕を賜り、礼拝日には心温まる集いに出席させて頂き感謝と心より御礼申し上げます。

 山本先生がますますお元気で力強いお説教を賜りますようお祈り申し上げます。

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