ことばの世界のことば(6)

(「LOGOS No.22」1991.5)

栗原 敦(実践女子大学教授)

さようなら丸の内
いまはどこにもない原っぱ
かつて握りしめた細く青い花茎
あれは私自身の首でした。
   (石垣りん)

 「東京丸の内で摘み草をした。/昭和は10年代のはじめ、」高等小学校を卒業して事務見習いとして勤めた銀行への道すがらだったという。見習いから正規の事務員になるまで6年かかった詩人の乙女時代を、いとおしく思い出させるような「クローバー/タンポポ/ハルジョン/職場の机を飾るには/貧弱すぎる野の花だった。」

 それからおよそ半世紀、「戦火で燃え上がる日」も経ながら、戦後の復興や経済成長の成果のごとき「新しい高層建築群」に埋めつくされた丸の内で詩人は定年退職を迎えた。学歴がなかったことで与えられなかったもの、与えられなかったものが見抜かせた経済社会の原理やからくり。今昔の感に打たれつつも、失われた「原っぱ」とそこに咲いた「野の花」でありえた「小学校出の少女」の眼が、いま”経済社会が値を付ける、花屋の花ばかりを志したくない。”と思わせている。

職場の花ともてはやして見せたり、男女差の撤廃を実らせたりする正しさを伴ったりしながら、私たちをからめとって目をくらませてしまうのも、それに対する半生を賭けた批評のことばが、詩篇「摘み草」の末尾、すなわちはじめに掲げた4行だったのである。

 石垣りん(1920〜)、東京赤坂の薪炭商に生まれた。4歳の時母を失くし、4人の母と呼ぶ人を持つことになった。昭和9年より50年の退職まで日本興行銀行に勤務。既刊詩集は、『石垣りん文庫』(花神社)としてまとめられている。

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