ことばの世界―〈光〉と〈風〉ことば(2)

(「LOGOS No.31」1992.4 )

栗原 敦(実践女子大学教授)

とびだせ
とびだせ
虫けらも人間も
みんな此の光の中へ!

(山村暮鳥)

 一九一五年、山村暮鳥(1884〜1924)は木村荘八『未来派及び立体派の芸術』などに学んだ未来派の前衛的、実験的手法をひっさげて第二詩集『聖三稜璃』を上した。現在でこそ「盗金魚./強盗喇叭/恐喝胡弓/賭博ねこ」(「語」)云々や、「あらし/あらし/しだれやなぎに光あれ/あかんぼの/へその芽/水銀私的(ヒステ)()()」(「だんす」)、「いちめんのなのはな/いちめんのなのはな/いちめんのなのはな」(「風景」)等なども、古典的表現といってもよい位だが、当時の詩壇ではとうてい充分な理解を得られず、難解、ひとりよがりとの酷評をうける程だった。

 苦悩の末、転進をはかった暮鳥が、土地を借り、農業をはじめ「草木のやうに生きやう」とした中から生まれたのが、次の第三詩集『風は草木にささやいた』(1918)だった。大正期人道主義思想にも重なる、大地自然に生命の蘇りを見た、平明な口語体の詩篇群の一つ「万物節」全16行の終わり近く、第11行から15行までを掲げた。第16行は「みんな太陽の下にあつまれ」と念を押すが、雑誌初出発表の際にはなかった行だという。

 春の「雨あがり/しっとりとしめり/むくむくと肥え太り/もりあがり/百姓の手からこぼれる種子(たね)をまつ大地」(1〜5行)、「からりと晴れた蒼空」に、百姓の一人でもあると自認する詩人は「穀倉のすみっこ」で「種子もさへづる」のを感じとり、生命の芽生えの季節、輝く光の到来を、「虫けら」にも「人間」にも等しく告げずにはいられなかったのである。

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