気仙沼市唐桑町小鯖港



多河 敏子

 

22歳から約3年間をこの町の中学校に勤めました。

仙台からバスと船で約7時間、当時は上野へと大体同時間でした。仙台の賑やかな中心部に通っていた者にとって、静かな漁村は馴染むのに時間がかかりました。が人情に厚く生徒も素朴で陽気、アワビの開口の日は多くの男子生徒が、海に出る為に欠席。親はカツオ一本釣り漁で四国沖へ、マグロはえ縄漁でアフリカやマリアナ諸島方面に行きますので、我が家に帰るのは年に2度・家族との団らんはひと月弱でした。唐桑御殿と言われる立派な家に帰宅します。そんな立派な家に下宿させて貰いました。

主人はカツオ漁に出ているので年二回だけの帰宅。命がけの仕事をする漁師魂というのか気骨があってぴしっとしたところがあり、ちょっと怖い感じでした。リアス式海岸・陸中海岸国立公園の入り口にありますから、風光明美な場所ですが昔から地震と津波が多く、私が居た時もチリ地震津波が来ました。

下宿の男子生徒はいつも無口でしたが、津波の時はいち早く起こしてくれました。その時は50cmほどの津波で二階からみんなで見つめました。今度もそんなに高い波とは思わなかったのではないでしょうか。

懐かしい東北弁が今回のような形で耳にするのは淋しい限りです。毎晩7時になると家々に漁業放送が流れてきます。漁をしている位置や天候等を知らせます。支え中と放送される時は漁船が高い波に向かって、横倒しにならないように懸命に支えているのです。それを聞き留守を守る母親は毎度のことながら心配していました。

ある夏誘われて生徒と一緒に素潜りでウニ、ホヤを取りに行き、ホヤはキュウリと酢醤油で食べるのがとても楽しみでした。冬になりビンチョウ鮪の季節は、毎日,ビンチョウのご馳走でした。初めて担任になった生徒の一人が卒業後間もなく、イカ釣り漁に出て投げ出され亡くなった事も忘れる事が出来ません。

その静かな港に今回10M以上の大津波です。今回逃げ遅れて亡くなった生徒(と言っても60歳近くですが)も二人いました。この部落の生徒の一人が携帯で知らせてくれました。原稿を書き終わった朝、福島泰樹さんの歌を新聞紙上で拝見しました。見事な短歌だと思いました。

「わたなかを漂流しゆくたましいのかなしみふかく哭きわたるべし」

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