南ドイツ・オーストリア旅歩き2

高橋 渉

3.3日目(ローテンブルク〜シュヴァンガウ〜ヴィース教会〜ミュンヘン)

 朝6時に起き、朝食を済ませた後、古いヨーロッパスタイルのホテルであるアイゼンフートホテルに1日だけしか泊まれないということに未練を残しつつ、キャリーバッグを動かしながら集合場所のシュランネン広場へと向かいます。が、ローテンベルク旧市街は中世の面影を残した街であり、石畳でできているため、移動の際にキャリーバッグはガタガタ音を立てていきます。日曜日の朝に漂う静寂な雰囲気がぶち壊しになるのですが、20キログラム近いバッグを持って運ぶのも大変なので仕方なく5分間ガタガタさせながら集合場所に向かっていきます。

昨日と同じくアウトバーンに乗り入れ、バスはローテンブルクからノイシュバンシュタイン城があるシュヴァンガウへ向かいます。3日目も天気は不安定でバスに乗っている途中で叩きつけるような雨が降り、シュヴァンガウに到着したときも少し雨がぱらついていましたが、すぐに止んだためホッとしました。とは言え、ずっと天候が不安定なためいい旅行ができるのか心配にはなりました。

 シュヴァンガウは人口3700人と小さな村ですが、ルートヴィッヒ2世が建造したノイシュバンシュタイン城、ルートヴィッヒ2世の父親マクシミリアン2世が再建したホーエンシュヴァンガウ城が名所となっており、周りには土産物、ホテル、レストランと観光地として栄えている場所です。鉄道を利用して行くとなると、フュッセン駅を降りて、1時間に1本程度のシュヴァンガウ行きのバスに乗るという面倒なやり方となるため、ここへは現地バスのヨーロッパバスか、私が利用したJALユーロエクスプレスで行かれるほうがいいかと思われます。

 シュヴァンガウに到着した後、昼食の休憩を挟んでからノイシュヴァンシュタイン城へ向かうということでしたので、休憩中を利用してホーエンシュヴァンガウ城の様子を知るべく、そこに向かって歩いていくこととしました。ところが、中に入るには時間指定の予約となっているため、休憩時間内では間に合いそうにないので、ホーエンシュヴァンガウ城から見たノイシュヴァンシュタイン城や周りの景色だけをビデオに収め、ホーエンシュヴァンガウ城を後にしました。

ホーエンシュヴァンガウ城

ノイシュヴァンシュタイン城へは徒歩、バス、馬車の3つの方法で行くことができますが、私たちはバスを利用しました。その際列を作って並んでいたのですが、詰めていかないと割り込まれるのでどんどん詰めてくださいとガイドさんに言われました。バスはコンクリートで舗装された道を登っていき、目と鼻の先というところまであっという間に到着しました。

 ノイシュヴァンシュタイン城に着く前に、つり橋の上から撮影するノイシュヴァンシュタイン城が絶景であるということで、ガイドさんが撮影の時間をくれました。が、実際そのつり橋のところに行くと、ものすごく高いところにつり橋がかかっており、高所恐怖症ではない人もためらうのではというくらいの高さでした。しかも日曜日ということもあってつり橋は観光客でギュウギュウに詰まっており、動くのも一苦労という状況でした。それでも、こうした状況の中スリが横行しているというのですから、そのたくましさには呆れるばかりです。どうにか、ビデオとカメラにノイシュヴァンシュタイン城の風景を収めた私はさっさとつり橋から集合場所へと戻ったのでした。

ノイシュヴァンシュタイン城(つり橋から写したもの)

 つり橋から戻ると、後はノイシュヴァンシュタイン城に向かって歩くのみですが、城へ向かう途中の村を下界に見下ろす風景が美しいので、ビデオに映しながら歩いていきました。カメラに記念撮影として思い出に残すにはいい場所だと思います。

 ノイシュヴァンシュタイン城はホーエンシュヴァンガウ城同様に時間指定の予約制であり、オーディオガイドで説明を聞きながら中の様子を見学するシステムとなっています。城内の撮影は厳禁であり、城外のみ見逃してくれることもある程度ということでした。ルートヴィヒ2世が中世を贅の限りを尽くして建てた城ですが、これでも未完成というのですから、ヴィステルスバッハ家の財力、力のすごさを改めて感じさせます。

 城内見学終了後は、時間がないことや周囲の様子を自分の足で感じたいので、徒歩で観光バスの集合場所まで戻りましたが、馬車の雰囲気を味わいたい方は時間がかかりますが、馬車でふもとまで降りていくのもお奨めします。戻る途中で岩清水が湧いている場面や小さなカエルがそこで飛んでいるところに出くわすなど、心を和ませるものがありました。

 ノイシュヴァンシュタイン城を後にバスは世界遺産であるヴィース教会へと向かいます。この教会のキリスト像が涙を流したという伝説から各地から巡礼者が訪れたと言われている教会です。教会を訪れた日は日曜日だったのですが、幸いにもミサは終わっていたために中を見学することができるということだったので、中に入って撮影を行うこととしました。

 

ヴィース教会(外観)  ヴィース教会(内観)

中央下に涙を流したキリスト像あり

地元の人たちは世界遺産だからということで特別扱いをしているわけではなく、純粋に信仰の場として教会でミサを行っているとの事です。ですので、教会には通常の教会同様訪れた人の記載帳がありました。私も日本語で記載帳に記載をさせていただきました。

教会の外に出るとき献金箱があり、今日は日曜日だったなと思った私は献金箱に5ユーロを入れたのでした。外に出ると心地よい風が吹き、牧草地が波打つように風になびいていました。その風景に癒され、この瞬間の余韻を味わいたいと思っていたとき、ガイドさんから集合時間前でが、他の皆さんはバスに戻っているのでお戻り下さいと言われ、いそいそとバスに戻っていくのでした。団体旅行は効率よく回れるという長所の反面、団体行動のために行動が制約されやすいという短所が出た形となりました。

バスに戻ると、後はミュンヘンに向かうのみということでバスの皆さんは眠りについている人が多かったのですが、私は異国の地にあって興奮していたためか寝付けず、ミュンヘンに到着するときまで、次の観光をどうしようかということばかり考えていました。現にガイドさんにミュンヘン空港にはいつまでに行けばいいか、ダッハウ強制収容所はどのペースで行けるのかを訊ねていました。ガイドさんはミュンヘン空港には遅くともテロ対策で厳戒態勢であることを考えると2時間よりも前に余裕を持ったほうがいいこと、ダッハウ収容所は郊外にあるため、一日がかりになることなどを教えてくれました。

ミュンヘン到着後、ミュンヘン駅の目の前にあるホテルエデンヴォルフに荷物を置いて、ミュンヘンの旧市街へと向かいました。ミュンヘンはかつてのバイエルン王国の首都であり、バイエルン州の州都だけあって人口が131万人を超え、ベルリン、ハンブルクに次ぐ大都市です。大都市ですが、旧市街や周辺部に近代建築は余り見られず、昔からの町並みをいかに維持するか、再現するかということに努力している様子が伺えました。

ミュンヘンに到着したのが夕方の5時ということもあって新市庁舎の塔だけを見学してこの日は終わりにしようと思っていたのですが、切符を買う際に上手く英語が伝えられなかったら、係員がいいよということでそのまま通してくれました。言葉が通じない場合そのまま通してくれることがあると、サトウサンペイの旅行エッセイにありましたが、本当にそんなことがあるのだなと思いました。そのとき、日本人のツアー客が一緒にいたので、この話をしたら本来は有料だから運が良かったですねとお話されていました。

次の日はザルツブルク日帰り観光ということもあって、夕食を済ませた後は、早めにベッドに入るべく、ホテルへ戻ったのでした。

4.4日目(ザルツブルク)

 4日目は日帰りでザルツブルクに観光へ行く計画を立てました。ただ、日帰りの場合にはザルツブルクへはミュンヘン中央駅朝8時27分発の特急に乗る必要があり、決してゆっくりはできません。私が宿泊しているホテルエデンウォルフは駅の目の前にあったため、余裕を持って駅に行くことができましたが、駅から離れたところにホテルを予約をしていたら、余裕を持って駅に到着することができなかったと感じました。ですので、都市から都市へ異動をする場合にまだ慣れていないと感じられる方は観光地から多少離れていたとしても街の中心部よりは駅の近くに宿を予約されたほうがよろしいかと思います。

 さて、列車に乗って座席でゆっくりしていると、EUも日本同様に改札が来て切符を確認します。その際、私はミュンヘン⇔ザルツブルクの往復切符の他に、6日目、7日目のときに使うミュンヘン⇔インスブルックの往復切符をチケットの形でまとめて持っていたものを改札に見せたため、改札は誤ってインスブルック行きの切符にスタンプを押してしまいました。そのときはすぐには様子に気づかなかったのですが、切符のスタンプを見て慌てて改札を探して、拙い英語で自分はインスブルックではなく、ザルツブルクに行くのだと伝え、改札に誤ってスタンプを押した旨の説明書きをインスブルック行きの切符の裏に書いてもらい、ザルツブルク行きの切符に改めてスタンプを押してもらいました。

今にして思えば切符をセットではなく、バラにしておけばとも思いますが、外国では日本みたいに正しいところにスタンプを押してくれるとは限らないということを知りました。これは切符のスタンプに限ったことではありませんが、様子がおかしいとか、よくわからないことがあるときにはその場で自分の思いを片言の英語で構わないので、主張しておかないと大変なことになるので、個人旅行の際には充分気をつけたほうがいいでしょう。

そんなドタバタを経ているうちにあっという間に列車は10時9分にザルツブルク中央駅に着きました。ザルツブルク中央駅から外に出る途中、なぜか着物を着た日本人のコンサートらしきポスターと日本語がありました。外国人からすれば、着物という民族衣装そのもののほうが受けるのでしょうが、日本人の私からすると何が何だかよくわからないという印象を持ちました。もっとも、これはお互い様なのかもしれませんが。

ザルツブルクは、カトリックの大司教が統治していた宗教都市であり、西暦700年頃から約1100年に渡り統治がなされ、大司教の宮殿レジデンツや、敵からの襲撃に耐えるための要塞ホーエンザルツブルク要塞などが観光名所として有名です。また、モーツァルトの生誕地ということでモーツァルトの生家などの観光名所のほか、ザルツブルク音楽祭が7月下旬から8月下旬にかけて催されるなど、音楽の都としても有名な街です。また、街自体が世界遺産に登録されているため、街をただ歩くなり、街中の喫茶で一休みするなどして街の雰囲気自体を味わうのもお奨めです。

駅から「地球の歩き方」を片手に地図を見ながら、街の中心部に歩いていく途中にはヴォルフディートリヒ大司教が愛人サロメ・アルトのために1606年に建てた宮殿、ミラベル宮殿が見えます。ここは現在ではザルツブルク市庁舎として使用されていますが、建物の内部にある大理石の間マルモアザールは見学することが可能です。なお、大理石の間に続く、階段も大理石で飾られています。


ミラベル宮殿(左)と庭園(奥の上に見える建物はホーエンザルツブルク要塞)

私が写した写真だけだと、さほど広くは見えませんが、庭園は写真で撮影した以外にもこの数倍の広さで、写真では写しきれないくらいのものです。大理石の間といい、カトリック大司教の政治的権力が大きいものだったのかを伺い知ることができます。

ミラベル宮殿を後にし、マカルト広場付近のモーツァルトの住居(再現したもの)を通過し、川の向こう側は旧市街、世界遺産地区です。ここの見所は外環を黄色く彩った建物であるモーツァルトの生家、大司教の宮殿レジデンツ、バロック様式の建物である大聖堂、ザルツブルクの要塞ホーエンザルツブルク要塞です。私は時間の都合もあって、午後の半日でこれらを回りましたが、余裕を持って見学されたい方はザルツブルクに1泊して2日間かけて回られることをお奨めします。海外旅行の基本は1都市2日であり、ツアーではない場合には2日間はいないとその街を理解するのは難しいものと思われます。また、ホーエンザルツブルク要塞はオーディオガイドツアーによる見学なので、1時間30分から2時間程度の余裕を持てばいいですが、レジデンツは個人による見学であり、オーディオガイドによる説明を聞き、理解をすることや余裕を持つことを考えると2時間以上は時間を確保したほうがいいので、お土産を買う時間や喫茶でゆっくりする時間を考えると泊まったほうがじっくりと見学できるものと思われます。

ホーエンザルツブルク要塞(奥の側の建物)

この日は雨交じりの風の強い天気で寒い一日で、建物内部の見学であるレジデンツなどはゆったりとした気分で見られたのですが、ホーエンザルツブルク要塞は外の展望台でザルツブルクの外観を上から見学するのが一つの目玉であったため、ガタガタ震えながら観光コースを回っていました。そのとき記録的な大猛暑に日本があったことなどそのときだけは忘れていたのは言うまでもありません。それでも、要塞が年月をかけて建築されてきた歴史、要塞内部の豪華な居室など要塞でありながらも華麗な様相に感銘を受けました。

ホーエンザルツブルク要塞もよかったのですが、私はおそらく観光ツアーでは省略してしまうであろう、ザルツブルクの目玉の一つであるノンベルク修道院の概観を見るべく、行きにケーブルカーで来たところを帰りは歩いくこととしました。ノンベルク修道院はサウンド・オブ・ミュージックのヒロインであるマリアが修道女見習い時代で過ごした修道院ということで、どんなところかを知りたくて「地球の歩き方」を片手に歩いて行きました。修行中の修道女の信仰の場であるため、中に入ることはもちろんできないのですが、ここがサウンド・オブ・ミュージックに出てきた修道院かと知るのも悪くはないので、余裕があったら、どんなところかを見てみるのもいいかもしれません。

ザルツブルク市内で夕食を食べようとも思ったのですが、帰りの列車が19時2分発とあり、食堂車で食事をするのも悪くはないと思った私はお土産物を買った後、早めに駅へと戻りました。その際に駅を撮影していたら、その傍にいた地元のティーンエイジャーらしき少年たちから囃し立てられたので、事勿れな私はかかわったらまずいと思い、その場から立ち去りました。今にして思えば、大したことはなかったのでしょうが、個人旅行だと周りへの警戒度が高くなりやすいというのも事実です。ところで、食堂車ですが、駅のインフォメーションで帰りの列車の食堂車について訊ねたところ、当該列車に食堂車はなく、ビュッフェがあるのみとのことであり、仕方がないので、駅の近くのモスバーガーでファストフードを食べました。

ザルツブルク19時2分発の特急列車に乗ったところ、最新式の車両であったためか、現在の列車の位置、鉄道の経路を記した地図、現在の列車のスピード、現在時刻、現地到着予定時刻が映ったスクリーンが掲示されていました。飛行機などに乗ると、そのようなスクリーンがありますが、ヨーロッパの場合飛行機のスタイルが鉄道にも適用されているわけで、乗物全体が統一されているのだなと感じました。

ミュンヘンには到着予定時刻の20時34分よりも数分程度遅れて到着しました。日帰りで見学して疲れた私はその日シャワーを浴びた後ぐっすりと眠り、明日のミュンヘン市内観光に備えるのでした。(続く)

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