負債を帳消しに

ローマの信徒への手紙3章21ー26節

08.1.27

飯島 隆輔伝道師(早稲田教会伝道師)

昨年は偽装、偽証などの問題が社会の至る所にあることが発覚し、偽という文字が昨年一年の日本社会を象徴する言葉になった事は、大変残念であり、恥ずかしい事でもありました。今年になって年賀状のはがきに含まれる古紙の割合にもごまかしがあったということす。その後、年賀はがきばかりではなくほとんどの製紙会社がやっていたということで、印刷や出版だけではなく、沢山の紙を使う企業や官庁でも影響が出てきているようです。しかし紙に占める古紙の割合を少なくしても直ぐに環境や生活に影響が出るとも思えません。一億総監視人になってすべてを偽物ではないかと疑っているようで、少し神経質になりすぎているのではないかと思います。正味期限が切れた大福や和牛と偽った輸入牛を食べて病気になったり、お腹をこわしたなど聞いたことがありません。私の家の冷蔵庫の奥にはとっくに賞味期限が切れた食料が忘れ去られており、半年前のアイスクリームやかちかちに凍ったシシャモなど、食べられるかどうか先ず私が食べてみて何でもないなら家族が食べるなどということはしょっちゅうあることです。

地球規模の問題では温暖化が最も深刻に考えるべき大きな問題ではないかと思います。正月のテレビの特集を見ていましたらヒマラヤの氷河や北極海の氷山が溶けてどんどん小さくなっています。氷が張らなくなって氷の上で生活しているエスキモー、イヌイットの人たちやシロクマの漁が出来なくなり、食料や餌がとれなくなったばかりではありません。日本列島も年々温暖化が進み、海水の温度や気温が上昇し漁業や農業に深刻な影響が出ていることが報道されました。

 しかし、もっと身近な事では格差の問題、経済格差がもっと深刻ではないかと思います。週刊誌を買わないで地下鉄の社会の動きを見ることも多いのですが、ドア付近の額面広告は債務処理の広告が目につきます。破産処理、多重債務処理専門の弁護士事務所、司法書士事務所などが出している広告で広告を出すことはそれだけ多重債務や借金によって破産する人が多いということです。

 借りたお金は返さなければなりません。借りたお金を返せない場合は自己破産してでも債務を処理しなければならないというのが社会のルールになっています。随分前から自己破産が増えて入る訳です。破産処理をするにもお金がかかる時代です。格差社会についてはフリーター、派遣社員など、非正規雇用者の増加による個人的な所得格差ばかりではなく、首都圏や名古屋、京阪神と地方の県の地域格差、大都市と地方都市、町村との格差など、格差はますます拡がるばかりです。

東京都内でも所得格差は広がっており、年収100万円以下の低所得者層の増加と700万円以上の所得者層が増加し、中間層、中流層が減少しているということです。

 国家間の格差は開く一方で、豊かな金持ちの国はますます豊かになりますが、発展途上国といわれる国はますます貧乏になっております。私達はアジアやアフリカの貧しい国の人たち、特に飢えや病気、或いは戦火に苦しむこどもたちや弱い人たちの事を覚えて個人的にも教会としても寄付をして、何らかの支援を心がけているわけです。2001年9月11日にアメリカで起こった同時多発テロの原因は国家間の経済格差であり、貧しい国の国民が豊かな国に対して行った報復であったともいわれております。

アジア・アフリカの最貧国と言われている国の国民所得は100ドル以下で、努力や支援で先進国に追いつけるものではないことは誰でも分かっております。経済も情報もグローバル化して、強い国はますます強くなり、弱い国はますます弱くなっております。国連の調査によると借金を返す事が不可能な国は世界で41カ国あり、その内の30はアフリカあるそうです。そのそれらの弱い国は豊かな国から援助を受け、また援助という名の借金をします。それでも国家予算を教育や医療に十分回せず、アフリカなどで一日に1万9000人の子供が亡くなってと言われています。ウガンダは年間の国民所得の88%、フィリピンは国家予算の85%を借金の返済に当てねばならない、他にもそういう国が沢山出てきています。

一日1ドルしか収入のない国民が一日100ドル以上稼ぐ国民に借金の返済を続けております。その結果ウガンダでは、5歳未満の子供1000人中、162人が五歳前に死亡し、女性の平均寿命は42歳であると報告されています。ちなみに日本の幼児死亡率は5で、先進国より3割高いそうです。

今から9年前の紀元二千年を大ヨベルの年にしようという運動がカトリックや聖公会の一部にありました。ジュベリーと言いまして国連でも主張されました。借金を帳消しにするという事です。今日の世界において債権国と債務国がありますがこのヨベルの年、ジュベリーにすべての債務をタダにしよう、借金をチャラにしよう、棒引きにしようという趣旨の運動でありました。ジュビリーとは、旧約聖書に記された「ヨベルの年」の英語読みです。

旧約聖書のレビ記25章によりますと古代イスラエルでは土地は原則として売ってはいけないものでした。土地はもともと神様のものであり、人のものではない、勝手に処分して良いものではないとされておりました。借金・負債が嵩んで土地を売らなければならない時にも、その土地は必ず買い戻さなければならないという権利と義務がありました。その買い戻すことが贖いです。罪を購うという言葉は罪という負債を買い戻すという意味です。借金の担保の土地を買い戻せない時はその人に近い親族が買い戻さなければならない、こうした贖いの義務を負う近親者を贖い主と呼んでおりました。それでも買い戻す事ができないときは50年ごとにやってくるヨベルの年にその土地は元の所有者に戻される、こういうふうにレビ記に記されています。同じように負債が嵩んでしまって奴隷となって自ら売り渡さなければならなかった

場合にも同じように対応する事が義務づけられており、奴隷が自分を買い戻せない場合はヨベルの年には解放されます。50年に一度の「ヨベルの年」には、国中に自由が宣言され奴隷も開放されたと聖書は伝えています。

1999年6月のケルン・サミットでは、世界中から集まった5万人の人々が「最貧国の債務帳消し」を訴えながら「人間のくさり」でサミット会議場をとり囲みました。そして世界の最貧国の借金を棒引きにてほしい、債務を放棄してほしいと訴えたのであります。

ジュビリー運動の結果ケルン・サミットでは重債務貧困国の債務削減が合意され、第三世界の国々が抱える債務3560億ドルのうち1000億ドル余りを帳消しにすることで合意されました。さらにその後、アメリカ、イギリス、カナダは自国の債権を全額放棄することを決めました。このように運動は大きな前進を見せましたが、まだまだ巨額の債務は残っています。日本の政府は債権放棄に消極的で、債権放棄をしませんでした。日本のマスコミも取り上げずにまた報道されませんでした。

 パウロはローマ人への手紙3章24節で、私たちの罪という負い目、負債がイエスキリストの贖いの業によって買い戻されて、私たちは罪を赦された者として、神に顔を向けて、顔を上げて神の前に出られると言っております。

パウロはローマ人への手紙1章21節で罪をこのように言っています。「なぜなら、神を知りながら、神としてあがめることも感謝することもせず、かえって、むなしい思いにふけり、こころが鈍く暗くなったからです。」25節に「神の真理を偽りに替え、造り主の代わりに造られたものを拝んでこれに仕えたのです。」これが私たちの神に対する罪、負債です。

 そしてその結果そしてローマ人への手紙1章29節ー31節の悪徳表といわれるような状況が出現するのです。「あらゆる不義、悪、むさぼり、悪意に満ち、ねたみ、殺意、不和、欺き、邪悪にあふれ、陰口を言い、人をそしり、神を憎み、人を侮り、高慢であり、大言を吐き、悪事をたくらみ、親に逆らい、無知、不誠実、無情、無慈悲です。」

これは当時のヘレニズム社会に広く行き渡っていた状況で、パウロは強く非難しました。パウロはこの状況は神の真理を偽りに替え、造り主の代わりに造られたものを拝んでこれに仕えた結果だと言い切っています。この状況は決して当時のヘレニズム社会だけのものではなく、今の日本の社会にも当てはまるのではないかとさえ思うわけであります。悪徳表といわれる1章29−31節は神と人、人と人との関係の中で、関係性の中で起こる事柄であります。罪とは神を侮り、神に背を向ける事であり、神からの離反であります。悪徳表の様々な罪の状況は私たちが神から離反して、自分が神の立場に立ち、神なる事から生ずることです。パウロはローマの信徒への手紙3章23、24節でこの様に言っております。「人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。」。パウロはこの人間の罪、神に対する負い目、負債が神の恵みにより、無償で許される、無償で、タダで負債が帳消しにされる、棒引きにされるといっております。キリストイエスの贖いの業を通して、無償で、神の恵みによって許されるのだ、義とされるのだといっております。パウロも私達も犯罪という意味での罪人ではありませんが、私達が今ここに生きている、生かされているという事実そのものが実は多くの人びとの犠牲の上に立っている、それは私達の存在が私達自身の能力では支払い切れない負債を負っているということであります。それが聖書の理解なのであります。

しかし、今の私たちの犯している悪、罪というものは目に見えないところ、気がつかない、意識していない所で起こっているのではないでしょうか。この寒空の下で約2万人が路上生活をしております。過去9年間も毎年3万人以上の人たちが経済的或いは精神的苦しみ、追いつめられて自殺をしています。

多くの人が薬害や公害の後遺症で苦しんでおります。私たちは彼らと無関係ではないのです。

1995年の阪神大震災では多くの人が亡くなり傷つき、今なお経済的にも精神的にも立ち直れない人たちが大勢おります。

私たちは戦後60年間、平和憲法の下で平和を享受していますが、この憲法が出来るまでには太平洋戦争という大きな戦争があり、兵隊だけでなく沢山の民間人が死に、傷つき苦しみ、悲しみを負ったのであります。その犠牲の上に私たちの平和が乗っかっている。私たちが平和を享受しているバックには、日米安保条約があり、米軍基地の75パーセントが沖縄に集中してあるわけです。ここからもベトナムや、イラクに兵隊が行って戦争をしているわけです。沖縄には基地問題があるばかりでなく沖縄県民の所得は全国平均の7割、これは東京都民の所得の半分です。沖縄県は江戸時代の初めから搾取や差別、重税、戦争による多くの犠牲。他国の支配、様々の苦難を受けて来ております。私たちの現在の平和はそういう犠牲、苦しみ悲しみの上に築かれているわけです。

日本は敗戦後の廃墟から経済大国になりましたが、日本の戦後のめざましい経済復興は朝鮮戦争による戦争特需によって復興の弾みがつき、また、ベトナム戦争の時の特需によって大もうけをして景気が良くなり復興を加速したといわれております。私たちの繁栄は朝鮮やベトナムで流された多くの血、犠牲の上に築かれているという事を受けとめなければならないと思います。更にその前には第二次世界大戦によって中国や朝鮮などアジアの人たちを含めて2000万人以上の人が死んだり、怪我をしたり、苦しい、悲しい、悲惨な歴史があるわけです。

 地球の温暖化は深刻で北極海の氷がとけて南の島国が沈んでしまうも時間の問題です。そしてそこの人々は国を失い、財産を失い、或いは命を失うかもしれません。私たちは限られた資源を消費し、豊かな生活、安全で便利な生活をしておりますが、一方にはそのために追いつめられ、苦しんでいる人たちが大勢いるわけです。私たちは温暖化の被害者であると同時に加害者でもあります。私たちはそのような他の人たちの苦しみ、悲しみの上に乗っておりながら、なるべく彼らと距離を置き、自分たちの生活、安全を守ろうとします。自分の安全で平和で豊かな領域は犯されたくない訳です。なるべくなら無関係でいたいと思うこともあるでしょう。しかし私たちは弱い人、貧しい人それらの人たちに対して、或いは長い歴史の中で他者の苦しみの上に、犠牲の上に生きていかざるをえないという、大きな背負いきれないような負債を持っているのではないでしょうか。私たちは加害者としての自分を考えたくないので考えないだけで、彼らに対するとても背負いきれない負債、払いきれない借金、負い目、罪を背負っているのではないでしょうか。神はこの返しきれない私たちの借金、負債、負い目を無償で、帳消しにしてくれている、イエス・キリストの贖いのわざによって、無償で棒引きに、チャラにしてくれている、と宣言されています。「人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。神の恵みにより無償で罪が赦されるのです。負いきれない負債が帳消しに、棒引きに、チャラにされるのです。だから私たちはイエス・キリストによる私たちの負債の帳消しを素直に「有難うございました」と感謝して受け止めれば良いわけです。何の代償も必要ないのです。これが福音でなくて何でありましょうか。これは神の恵みであります。私たちはこの福音を感謝して素直に受けとめ、喜びを持って、希望を与えられて生きていきたいと思うわけであります。

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