見えないものに目を注ぐ  

ースペインを旅してー
コリント信徒への手紙(2)418節  06.11.12 証言

 飯沢 忠牧師

今朝、私たちに与えられたみ言は、コリントの信徒への手紙(2)の4章18節であります。「わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです」
 このみ言に思いをはせる時、私はひとつの忘れることのできない「美術スペシャル」という番組を思い起こします。この番組では20世紀を代表する画家、マチスとピカソについてのものでした。み言を学ぶ前にこの番組の内容を紹介したいとおもいます。

マチスとピカソは、ピカソの娘が言っているように「一卵性双生児」のように二人には良く似ている面があり、お互いに引かれるものがありました。いつも相手を意識し合っている画家でありました。二人がまだ若くかけ出しの画家であった頃は、貧しくて「果物」の絵を描くのに暖房のない寒い部屋で、何日も果物の絵を描き続けていました。それは寒いと果物が腐らなかったからであります。

ところが彼らが次第に良い作品を描くようになり人々の注目を浴びるようになりました。ピカソはロシヤの金持ちの娘と結婚し、幸せな生活をするようになります。ところがその頃からピカソの絵は、極端に変化していくのです。その絵は私たちが良く知っている大きな目と鼻の曲がった、色彩も独特な色を使った絵であります。どうしてそのような絵を描くようになったかと言いますと、それは妻の上流階級の婦人たちを見ると、彼女たちは外側だけは美しく着飾っていて、彼女たちの心のなかの醜さを知って、彼は幻滅を感じるようになったからであります。その頃から画商たちはピカソの絵を買ってくれなくなりました。

一方、マチスも画家として、貧しい時、豊かな時、喜びの時、また憤りや不満、失望などといった様々ななかを画家としての生活をおくります。晩年のマチスは大腸ガンとなり死線をさ迷いましたが、奇跡的に健康を回復します。彼はその感謝の思いを自分で教会堂を設計し、礼拝堂の壁を白いタイル張りにし、そこに黒い線でキリストの生涯を描きました。南フランスのやわらかい光が、彼の作ったステンドグラスを通して射し込み、キリストの生涯を素晴らしい絵として神に捧げました。
 マチスに引かれるピカソはこの教会にやって来ます。そして「お前は、何故このような仕事をするようになったのか。いつから神を信じるようになったのか」と聞くのです。その後、ピカソも宗教画を描くようになります。マチスとピカソは若いときから年老いる日まで、ひたすら「心」でものを見て絵を描きつづける画家でありました。ピカソの描いた絵はやがて高い値で売れ、彼は巨万の富を得ました。年老いたピカソはこう言います。「太陽や愛はお金で買えない」。

今朝、私たちに与えられたみ言は「わたしたちは見えるものではなく、、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです」と告げています。「見えるものは過ぎ去る」、見えるものは一時的であり、「見えないものは永遠に存続する」とパウロは言います。

パウロは、このみ言の前の節(1617節)「だから、わたしたちは落胆しません。たとえわたしたちの「外なる人」は衰えていくとしても、わたしたちの「内なる人」は日々新たにされていきます。わたしたちの一時の軽い艱難は、比べものにならないほど重みのある永遠の栄光をもたらしてくれます」。

パウロが言っている大事な事とは、落胆するとか、滅びることのあとに、見えない永遠の世界があることを信じることであります。それは神を信じること、キリストとともに生きること、キリストの救いを受けること、これらのものには見えるものは一つもありません。

パウロにとってこのことは、最も現実的なことであり、日常的なことでありました。見える現実の様々な悩みの中で見えないものを見、それを信じて見えない永遠の世界を思いつつ生きていました。この地上に生きながらキリストを信じ、キリストとともに永遠の神の国をめざして生きていました。

私たちの信仰はどうでしょうか。

ピカソは貧しい生活から豊かな生活になった時、醜いものが見えてきました。マチスも大腸ガンになって死線をさ迷った中で奇跡的に健康を回復した時、キリストの生涯の中に真実なものを見出し、礼拝堂を造って神に捧げました。

私のスペインの旅で、もう一つの経験は世界遺産になっているガウディーの聖家族贖罪教会を尋ねることでした。ガウディーはこの教会に43年もの間、教会建築にたづさわり、途中スペイン市民戦争で教会が破壊されましたが、今も建築が続けられており完成まで200年がかかるであろうといわれています。ガウディーはこの聖堂を建築中の受難節に主イエスの荒野40日の断食にならって、40日間、死ぬのでないかと危ぶまれるほどの断食を体験しています。

ガウディーの教会建築の思想は、教会の名前にもなっている「サクラダ・ファミリア」、日本語に訳すと「聖家族贖罪聖堂」となります。サクラダは「聖なる」、ファミリアは「家族」です。

主イエスとマリヤ、ヨセフの聖家族に捧げる教会。「罪を贖う貧しき私たちのための聖堂」という名の教会であります。ガウディーの信仰がマチスの捧げた教会と同じように、私たちの罪を贖ったキリストに捧げる教会として、教会を建て始めてから100年を超える今、この教会はこつこつと作られているのです。

日本から外尾悦郎という方が1978年から28年間、彫刻家として携わっています。ガウディーに魅せられた外尾さんが、彫刻をまかされるまでには大変な苦労をされています。そして彼はスペインにおける「100人最優秀アーティスト」にただ一人の外国人として選ばれています。
ここには見えないものをめざして教会建築がなされています。この聖堂は天を指し示す形をとっています。私は工事中にあるこの教会を、世界中から訪れる大勢の人々と一緒に尋ねて、深い感銘を受けて帰って来ました。
私たちの現実には失望も落胆することもありますが、その中で天を仰ぎ、永遠を望む心を失わないで神から与えられた毎日の生活の中で「真の生きる道」に歩む者でありたいと願う者であります。信仰者にとって苦難は偶然なことでなく、すべて神のお定めになったもの、神のお与えになった機会であります。
この頃、産業革命の影響から貧富の差が大きくなり、スペイン市民戦争が起こりました。この時、ピカソは戦争の悲惨な状況を目の当たりにして、あの有名な幅7メートル、高さ3メートルの「ゲルニカ」という絵を描くのです。この絵はご存知のように動物たちと人間が暗闇の中で狂い叫んでいる絵です。この絵を見た兵隊は「お前は反戦思想をもっているのか」と言われます。するとピカソは、憤りをもって「この絵を描かせたのはお前たちだ」と答えます。
私はこのたびのスペインの旅で、この絵を見る機会を与えられたことを感謝しています。

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