恐れと苦しみの中で



創世記32:1-21 (07.3.4

飯沢 忠牧師

 私の証言で先月から「ヤコブ物語」を学んでいますが、今日、学ぶ箇所はヤコブが20年ぶりに両親と兄のいる故郷に向かっているところであります。ヤコブはこの時、かつて兄から奪った家督の権利に対して兄が怒って自分を殺そうとしていることを思い、恐れと不安に苦しみはじめるのであります。ヤコブは苦しみの中で神に祈ります。そのヤコブの祈りの中に彼の信仰を見ます。ヤコブはこのように祈ります。「20年前に杖1本をもって故郷を逃げ出したのに、神さまは多くの恵みを与えてくださいました」。ヤコブは11人の子供とたくさんの家畜と僕たちを連れて故郷に向かっているのであります。ヤコブがこのように祈る、彼の20年の生涯には多くの厳しい、つらい生涯がありました。
 ヤコブは兄から逃れて母の郷里、叔父ラバンのもとで働くことになります。叔父のもとには美しいラケルがいました。彼はラケルを愛するようになります。叔父はそれを知ってヤコブに7年間、私のもとで働くならば娘を妻に迎えてもよいと約束します。ヤコブは7年間働いていよいよ結婚の日を迎えます。叔父はその夜ラケルの代わりに妹のレアを妻として与えます。
 ヤコブはかつて兄から策略をもって長男の特権を奪ったのですが、この時、それよりもずるい叔父の策略にかかるのであります。ヤコブはラケルを妻に迎えるために、さらに叔父のもとで7年間、働くのです。このようにしてヤコブは叔父のもとで20年間、働かされるのであります。ヤコブはこのことについて、次のように語ります。(31:7)「わたしをだまして、わたしの報酬を10回も変えた。しかし、神はわたしに害を加えることをお許しにならなかった。」

神は狡猾なヤコブに対してそれ以上に狡猾なラバンをとおしてやこぶを罰し、懲らしめ教育をしたのであります。神はヤコブを愛するが故に罰せられたのであります。
32:10)ヤコブは祈った。「わたしの父アブラハムの神、わたしの父イサクの神、主よ、あなたはわたしにこういわれました。」『あなたは生まれ故郷に帰りなさい。わたしはあなたに幸いを与える』と。この祈りにはヤコブの狡猾な姿は見られません。

 ヤコブは恐れと不安の中で、「神の陣営」を経験するのです。神さまがヤコブに先立って待っておられることを経験します。神さまは私たちの思いもかけないところで私たちを待っていてくださるのです。ヤコブはかつて「天の梯子」の経験をしました。そして今ここで不安の中で「神の陣営」を経験するのです。神の陣営、マハナイムとは「二つの陣営」という意味の言葉です。それは天の陣営とヤコブの陣営ということです。ヤコブの陣営には数人の僕がいるだけでした。

 しかし神はもう一つの陣営をもってヤコブを守っていることを示されました。それは「天の軍勢」であります。これはヤコブの場合だけでなく、聖書にしばしば出てくる事柄であります。 主は信ずる者と共にいて、目に見えない形で私たちをあらゆる危険や困難から守ってくださる方であります。 しかし、ヤコブは「天の梯子」と「神の陣営」の啓示を受けたにもかかわらず、彼は不安の中にいました。私たちも同じです。

 ヤコブは信仰と不信仰の間を行きつ戻りつしていました。彼は天の軍勢が守っているという啓示を受けながら、兄のところに沢山の贈り物を持たせて使者を出します。使者は帰ってきて、兄がヤコブを迎えようと400人のお供を連れて、こちらへおいでになる途中でございますと伝えます。するとヤコブは隊列を二つに分け、一方が打たれてももう一方は逃れられるようにと準備するのです。ヤコブ特有の知恵をもってこのようにするのですが、それでも不安で神の助けを訴えるのです。

 私たちの神の約束を信ずる信仰とは何でしょうか。

それは、イエス・キリストの十字架によって私たちの甦り、永遠の命を信ずる信仰であります。

 私たちの肉の体はまことに弱く、もろい土の器であります。その肉体が滅びても必ず、私たちには永遠に生きる「復活」が約束されている。

 私たちがどのような不信仰に陥ったとしても神さまの約束は変わることがない。私たちはこれを信じるか、どうかであります。

かつて教団議長であった西片町教会の鈴木正久牧師は癌になったとき、娘さんからそのことを告げられました。その夜、先生は「おお主よ、天の父よ」と何度も呼び、いつのまにか眠りについたそうです。そして寝床で先生の最後の著書「主よみ国を」という主の祈りの説教集の序文にこのように書いています。「今、私は死を待つのではなく“キリストの日”に向かって生きているのです。そして先生は天に召されました。

私たちにもヤコブのように現実では、思いわずらいと恐れや不安があります。

その中で「見よ、わたしはあなたと共にいる。あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守る。あなたを見捨てない」このみ言を信じて雄々しく歩む者でありたいと願う者であります。

TOP