愛に生きる

ヨハネ21:15-19

08.4.6

飯沢忠牧師(田園調布教会協力牧師)

 今朝のみ言葉は、復活の主イエスと食事をした後、主イエスとペトロの間にかわされた会話であります。この会話は何にもまして重要な内容を含んだものであります。主イエスはかつて主が捕らえられたととき、三度主を知らないと裏切ったペトロを最早信頼できない者として退けませんでした。またこのことで、彼を責めることもなさいませんでした。

15節に主イエスはただ「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか」と問われるだけでした。主イエスは「ヨハネの子シモン」と彼の本来の名を呼んで厳粛な、そして親しみのある呼びかけをしています。「わたしを愛しているか」ペトロは主の鋭い問いかけに、かつて「主のために死にます」と断言した偽りの強さではなく、ただ「わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存知です」。これがペトロの言う事のできるすべてでした。

 主イエスとの会話の中で「愛する」という言葉が8回出てきます。ギリシャ語の原文では「フィレィン」「アガパン」の二つの動詞が用いられています。「フィレィン」とは「人間としての尊敬をもって愛する」であります。「アガパン」は「神の人間に対する自己犠牲による愛」であります。

主イエスとペトロが同じ日本語の「愛する」という言葉を言ってもその愛の内容は、ペトロが言う愛と主イエスが言う愛の内容には到底及ばない質の違うものがあります。人間の愛とはどんなに誓っても、努力しても神の愛には到達し得ません。しかし、主イエスはその人間の愛の限界を知りつつも、その愛を認め、受け入れてくださる方であります。

 主イエスはペトロに「わたしを愛しているか」と三回の問いに、「わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存知です」と応えると、主は三度ペトロの主への愛に対してこう仰せになりました。「わたしの羊を飼いなさい」 これは復活の主イエスのペトロに対する主の羊を飼うという牧会命令であります。この命令は私たちにも同じように語られているのです。主は「わたしの羊の世話をしなさい」と申しておられます。私たちは神に造られたすべての主の羊の世話をする者として召されているのです。

 そして主は、ペトロの過去と将来について印象深いことを語っています。ヨハネによる福音書21章18節「はっきり言っておく。あなたは、若いときは、自分で帯を締めて、行きたいところへ行っていた。しかし、年をとると、両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れて行かれる。」

 ペトロは若い日に、主に召されて主の弟子の道を歩いてきました。それは険しい道のように見えましたが、実はそうではありませんでした。ペトロはまだ全き服従ということを知らずに自分で帯を締め、自分の思いのままに歩きまわっていたのです。そのことを共観福音書に見ることができます。しかし、主はペトロにこう仰せになります。

 「年をとると」即ち主イエスのなき後、ペトロは「使徒」としての使命に生きなければなりません。福音宣教の困難な歩み、あるときには、捕らえられて牢獄に入れられたと使徒言行録に記されています。

 主イエスは「他の人に帯を締められて行きたくないところへ連れていかれる」と仰せになっています。19節aに「ペトロがどのような死に方で、神の栄光を現すようになるかを示そうとして、イエスはこう言われたのである。」これはペトロが主イエス・キリストに全き服従をささげた結果、殉教の死によって「神の栄光を現し」主の弟子の資格を実現することを意味したみ言葉であります。

 19節後半に「このように話してから、ペトロに、「わたしに従いなさい」と言われた」とあります。これは使徒的服従の命令であります。

 私たちは今朝のみ言葉から「わたしを愛しているか」との問いにどのように答えるべきできるでしょうか。

 代々のキリスト者は主の羊である私たちを愛し「愛の労苦」を惜しまないで牧会伝道に励まされました。

 イースター礼拝の墓前礼拝では津田山の田園調布教会の教会墓地で多くの先達を思い起こして礼拝を捧げました。
 私は50年ほど前に神学生としてこの田園調布教会で岡田五作先生より牧会と伝道の訓練を受けた者であります。神学校を卒業して伝道の第一線に遣わされて行くとき、先生は色紙に「信仰の働きと、愛の労苦、希望の忍耐」と書いてくださったことを思い起こします。「愛の労苦」。 これは主の愛に支えられ、生かされていなければできないことであります。パウロは愛とは「すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える」とコリントの信徒への手紙(1)13章7節に述べています。

 主イエスは「多く赦された者は多く愛する」と仰せになりました。また主は「わたしの兄弟である、この最も小さい者の一人にしたのはわたしにしてくれたことなのである」と仰せになりました。
 「使命」という言葉がありますが、ある人は「使命」とは自分の命を使うことであると言っています。私たちは主の尊い十字架によって、罪と永遠の滅びより救い出された者として、この尊い主の愛に応えて主の栄光のために自分の命を使いきって、天のみ国へ帰って行く者でありたいと願う者であります。

 ここで一人の宣教師のことをお話したいとおもいます。あの北海道と本州を結ぶ青函連絡船、洞爺丸が台風で遭難し多くの生命が失われたときです。自分の救命具を青年に譲り渡して亡くなった宣教師のことをご存知の方も多いと思います。宣教師会議に出席するため、その船に乗る予定であったアダムスという宣教師は、いま話題になっている夕張にある教会に急用ができ乗船を取りやめてカーブの多い険しい山道を上がっていったときのことです。先生は運転を誤り、谷底へと転落しました。幸い車は大木にぶつかり奇跡的に助かりました。

 もし洞爺丸に乗っていたならば、死んでいたかもしれない。どちらにしても死ぬはずの命が、二度も助かったのはなぜか。
アダムス宣教師はこのとき、自分の宣教師としての使命について改めて問われたのです。祈って考えた結果、示されたことは広大な北海道のすみずみまでキリストの福音を宣べ伝えるためにラジオ伝道の使命を与えられたのです。

 その準備のためにアメリカに帰ってラジオ伝道について学び、アメリカの教会を廻って献金を集め、再び北海道に帰って来ました。宣教師二人と日本人の牧師二人でラジオ伝道が始められました。私もその一人に加えられました。日本では教会に来る機会を与えられている人は限られています。私は毎晩「あすへの祈り」という番組を担当しました。聖書のメッセージを分かりやすく語り、聖書通信講座の入会をすすめ、通信講座を受けている人を教会に導く働きに携わりました。

 私が42年の牧会伝道から引退して近くの教会の礼拝に出席したときのことです。その教会の牧師は大学受験を控えた若い日に毎晩、私の放送を聴き、その後教会へ行きクリスチャンとなり、献身して牧師になった方でした。私はこのとき、神様の計り知れないご計画を知らされました。

 この放送は一般の生活から隔絶された刑務所でも録音されたものが流されていました。受刑者のなかに聖書通信講座で学ぶ人もあり、私は沢山の受刑者の前で話をする機会を与えられました。彼らの犯した罪はたとえ刑期を終えたとしても、心の奥底に秘められている罪は消え去ることはありません。キリストの十字架の贖いによるしか赦されることはありません。

 長く刑務所で教誨師をしていた友人の牧師が、このような話をしてくれました。死刑囚と聖書の学びをしていたこの牧師は、この人が処刑されるとき、立ち会ったそうです。牧師はこの死刑囚の手のひらに赤のマジックペンで「神は愛である」と書き、このみ言葉をしっかり握りしめて行きなさいと、送り出したというのです。

 またある死刑囚は「もっと早くイエス・キリストを知っていたならば、こんな罪を犯さなかった」と泣いていたとのことです。私たちは先週、毎日のように悲惨な殺人事件をニュースで知らされ、心を痛めています。何かが狂ってきています。

 このラジオ伝道は、今も北海道の諸教会の献金で支えられ、信徒と牧師たちのラジオ伝道は続けられています。
 創設者のアダムス宣教師は高齢になっていますが、昨年のクリスマスカードによると中国とロシアの神学校で特別講師として働いています。

 私たちはパウロが語っているように、時が良くても悪くても伝道しなければなりません。ある牧師は新聞の悲惨な出来事を見るたびに自分の伝道のたりないことに嘆いておられると、聞きました。復活の主が「わたしの羊の世話をしなさい」とのみ言葉が今、私たち一人ひとりの心に迫ってきています。

 この教会でも多くの方々が奉仕の業を担って教会を支えています。ある方は、直接奉仕の業に携わっていなくても祈りにおいて主の働きに参加しています。また、ある方は自分の遣わされたところで証の生活に励んでいます。

 「わたしを愛しているか」との主の問いかけにヨハネが言っているように、「言葉や口先だけでなく、行いをもって誠実に神と人とを愛する者でありたい」と願う者であります。

 私たちの人生のしめくくりはどのようなものか、知ることはできません。たとええどのような終わりであろうとも、それが神の栄光を現すものでありたいと思います。

TOPへ