折り紙つきの7人の信徒



  井本 克二牧師・(日本基督教団)7月17日礼拝証言

一同はこの提案に賛成し、信仰と聖霊に満ちている人ステファノと、ほかにフィリポ、プロコロ、ニカルノ、ティモン、パルメナ、アンティオキア、出身の改宗者ニコラオを選んで、使徒たちの前に立たせた。使徒たちは祈って彼らの上に手を置いた。(使徒言行録6章5〜6節)

招きの言葉 出エジプト記1819〜23節(神を恐れる有能な人)

      讃美歌 502番「いともかしこしイエスの恵み」

1.資格まみれの現代社会

最近の日本社会はあらゆることに資格が要求され、それに乗じて必要でもない資格を持つようにあの手この手で勧誘される時代であると思います。私が勤務していた平和学園でも私が就職下20数年前は教員免許状を持たない先生が何人もいました。40才近かった私が聖書科教員として採用されたこと自体、当時聖書科で免許状を持っていたのは4人のうちたった一人だったからでした。私もその時点では持っていなかったのですが、教職課程の全単位を既に大学で取得していたので申請するだけで免許状が取得できたから採用されたらしいのです。その後、文部省の審査はどんどん厳しくなり無免許の教員はどんどん事務職員に移動させられました。最も私自身、高校生のころ無免許で外車のオープンカーを動かし事故を起こしていましたし、神学大学卒業のころは日本基督教団は紛争のさなかで牧師試験も実施されなかった時期もあって、最初に赴任した目黒の行人坂教会は5年間伝道師ですらありませんでした。主任牧師に言われて、便宜的に副牧師を名乗っていました。ところがその後、別の教会に転任しようとしてうっかり履歴書に副牧師と書いてしまったので「経歴詐称だ」と非難され不採用になったこともありましたから、資格の大切さ、怖さも充分知っています。社会には「資格はどうでもよい」とは言えない厳しさがあることを体験しました。しかしまた教員の質や製品の質を保つためには、正式な資格や正確な品質表示も必要です。同様に私たちキリスト者もまた、自分勝手なひとりよがりな信仰ではなく、他の教会の人や他の宗教の人に見劣りしない信仰的な生き方を追求することが必要ではないでしょうか。そのことを今朝は使徒言行録第6章から学びたいと思います。

2初代教会に発生した混乱

ところでペンテコステ(聖霊降臨日)以降、爆発的に増大していった初代キリスト教会は、使徒言行録6章によれば、「そのころギリシャ語を話すユダヤ人から、ヘブライ語を話すユダヤ人に対して苦情が出た。それは日々の分配のことで、仲間のやもめたちが軽んじられていたから」でありました。一般的に言って「何事も原点に立ち返って考えるべきだ」とういう発想は、とかく「昔の方が良かった」という前提で語られ、キリスト教会においても「初期のキリスト教会は理想社会であった」とか、「初代のキリスト者はすべて信仰に熱心で、すばらしい毎日を送っていた」と考えられがちですが、使徒言行録を読む限り必ずしもそうでなかったことが分かります。弟子の数が増えてきて、混乱が生じてきました。そこで教会の幹部である十二使徒は弟子をすべて呼び集めました。言わば最初の教会総会が開かれたわけです。使徒たちは言いました。「私たちが神の言葉をないがしろにして(つまり福音宣教を差し置いて)食事の世話をする(つまり雑用をする)のは好ましくない。」ということになり「あなたがたの中から“霊”と知恵に満ちた評判の良い人を7人選びなさい。彼らにその仕事をまかせよう」。そして弟子たち一同はその提案に賛成しました。さてこのようにして選び出された「折り紙つきの七人の信徒」とはいったいどのような人々であったのでしょうか。

3.ステファノ、フィリポ、プロコロ、ニカノル、ティモン、バルメナ七人の信徒の筆頭はステファノで、彼だけに「信仰と聖霊に満ちている人」という肩書きがつけられています。そして事実、六章の後半から長い七章全体にわたって劇的に殉教するステファノの姿が描写されていますから、やはり飛びぬけて優れた賜

物を持つ人であったのでしょう。ステファノについての詳しいことは次回、七章で学びます。彼の次は伝道者フィリポです。この人についても使徒言行録は詳しく語っていますから立派な人であったようです。彼については八章で改めて学びますが、彼の伝道によって魔術師シモンは改宗し、他にも大勢の人々が次々と信仰に入り洗礼を授けられました。なかでも有名なエピソードはエチオピアの女王カンダケの高官に路傍で伝道して、その場で洗礼を授けた話です。その後のフィリポについては使徒言行録第21章に記されていますが、その頃はカイザリアに移住していたらしく四人の娘と一緒で、パウロの一行に宿を提供しています。三人目のプロコロについて聖書は何も記していませんが、古い伝承によれば彼はヨハネによる福音書の著者であるヨハネの筆記者であったとされ、更にはニコメディア教会の監督となりアンテオケで殉教の死を遂げたとされています。彼の著作として外典の「ヨハネの行伝」がありますが、実際は五世紀に書かれた文書のようです。四人目のニカノル、五人目のティモン、六人目のパルメナについては何も分っていません。

4.改宗者ニコラオ

 最後の七人目のニコラオについては、ユダヤ人として生まれたのではなく「アンティキアという本籍地が記されているのか不思議ですが、ある伝承では使徒言行録の著者ルカが同じシリアのアンティオキア生まれであったとしているので、同じ出身だから親近感をもったのかもしれません。またヨハネの黙示録2章には6節と15節の二回にわたって「ニコライ宗」という言葉があるので、紀元2世紀のエイレナイオス以来、ニコラオはこのニコライ宗の創始者と考えられてきましたが、本当のことは分っていません。

5.祭司たちの改宗

 使徒言行録第六章七節には、「こうして神の言葉はますます広まり、弟子の数はエルサレムで非常に増えていき、祭司も大勢この信仰に入った」と記されています。ユダヤ教の祭司たちもまたキリスト者となったということは注目に値することです。二千年昔のユダヤ教は、大きく分けて大祭司など支配階級のサドカイ派と、革新派のファリサイ派、自由主義者のナザレ派(これが24章5節、14節では「ナザレ人の分派」とか単に「分派」と呼ばれているキリスト者のことですが)そして死海に面したクムランの洞窟に閉じこもっていたエッセネ派(1947年死海写本発見)という4つの派がありましたが、祭司はサドカイ派に属します。サドカイ派というのは、23章6節でファリサイ派出身のパウロが両派の違いを明らかにして議場を混乱させるというように解説しています。「サドカイ派は復活も天使も霊もないと言い、ファリサイ派はこのいずれをも認めているからである」。ユダヤ教の中ではいちばん世俗的なサドカイ派に属する職業的な祭司たちがキリスト者になったということは素晴らしい出来事だったと思います。

6.特別に選ばれた七人の信徒の果たした役割

 私が使徒言行録第6章から学んだことは以上ですが、ここで皆さんと一緒に考えたいことは、十二使徒とは別に七人の信徒が選らばれた意味です。私たちは言うまでもなく一人ひとりが神さまから選べれたキリスト者となり、こうして礼拝に参加する者となりました。そのことを本当に誇りに思い神さまに感謝したいと思います。しかし選ばれたこの七人の信徒は、委託された日々の生活に必要なものの分配だけではなく、使徒たち顔負けの伝道をすることになりますから、私たちも見習わなければなりません。伝道や教会は牧師や宣教師だけに任せていればいいというものではありません。フィリポは「伝道者」と呼ばれていますし、ステファノは七章で学びますように石で打ち殺されるまで大祭司たちが取り囲むサンへドリン(議会)で大演説、大説教をしています。同様の勇気は十六世紀の宗教改革者ルターもドイツ議会で示しました。彼はウォルムスの国会に召還され、カトトリック教会の雄弁家エックから尋問されたとき、議論としては追い詰められながらも、「私はここにたつ」(ドイツ語でHier IchStehe.)と自らの信仰を主張してゆずりませんでした。ルターは支持者貴族にかくまってもらいましたが、ステファノの場合は市外に引き出され石で打ち殺されてしまいました。けれどもその場には、たぶん群集を扇動していた黒幕で後に使徒パウロとなるファリサイ派の青年サウロがおりました。彼はステファノの血を吐くような信仰告白とその輝く顔に強い衝撃をうけたようですが、なおも意地を張り、キリスト者を逮捕するためダマスコへ向かいました。その途中、多分ヘブライ語で「サウル、サウル、なぜ私をはくがいするのか」(9:422:7,26:14)という復活したキリストの声を聞いてユダヤ教からキリスト教へと回心したことは皆さんもご存知だと思います。

7.むすびの言葉

 ですから私たちも、ステファノやフィリポほどではないにしても、自分なりの信仰で職業や家事・育児などの本来的な自分の仕事の枠を超えて、神さまから何かをさせていただきたいという気持ち(つまり信仰的、社会的なボランティア精神)を持とうではありませんか。若いときは気が弱く消極的であった私は、それを克服するためにあるときから、できるだけ「余計なことをしようと思い立ちました。つまり言われたことだけ、要求されたことだけではなく、何かそれ以上できることなないかと考え、自分の能力を開発してきました。ですから学校の教員になったころには、校長先生から「井本先生は新しい仕事をつくることが上手ですね」と言われるまでになりました。どうか皆さんも、周囲の人々のために、教会のために、神さまのために新しい仕事、新しい役割を見つけたり作ったりしてください。そしてステファノやフィリポなどの七人の信徒のような「折り紙つきの信仰者」となってください。

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