永遠の命に定められて

 井本 克二・日本基督教団牧師

                 

                       証言・2006.3.19 () 

 そこでパウロとバルナバは勇敢に語った。「神の言葉は、まずあなたがたに語られるはずでした。だが、あなたがたはそれを拒み、自分自身を永遠の命を得るに値しない者にしている。見なさい、私たちは異邦人の方へ行く。
主はわたしたちにこう命じられておられるからです。『わたしはあなたを異邦人の光と定めた。あなたが、地の果てにまでも救いをもたらすために。』異邦人たちはこれを聞いて喜び、主の言葉を賛美した。そして永遠の命に定められている人はみな信仰に入った。 (使徒言行録13章46〜48節)
聖書朗読個所 使徒言行録13章44〜49節  招きの言葉  箴言2章1〜5節讃 美 歌 369番「働き人に主はいませり」

(1) 当初はアンティオキア教会の指導者の末席だったパウロ

 使徒パウロはその生涯に3回の伝道旅行をしました。その後もローマヘの旅をしていますが、それはローマ帝国の首都で福音を宣べ伝えるためにわざと皇帝に上訴したからで、つまり囚人として護送される旅でしたから、自発的な伝道旅行とは一応区別するぺきかもしれません。しかもそれは片道だけで、結局は数年後にローマで死刑の判決が出て斬首されたと伝えられています。

今でこそパウロは、キリスト教において主イエス・キリストに次ぐ偉大な人物とし認められていますが、使徒言行録の時代においてはそうではありませんでした。なにしろ本人が語っているように、彼はキリスト教徒になる前は過激なユダヤ教徒としてキリスト教徒を迫害して回っていたのですから、しばらくはキリスト教会の人々から信用されな

かったのも仕方のないことでありました。今日学びます使徒言行録第13章の1節でもシリアのアンティオキア教会の預言者・教師たちのひとりとして彼の名前があげられていますが、良く見るとそれら指導者の中ではパウロは末席です。
1.バルナバ、2.ニゲルと呼ばれるシメオン、3.キレネ人のルキオ、 4.領主ヘロデと一緒に育ったマナエン、5.サウロ(後のパウロ)。

(2) 「最もちいさい者よりもちいさい」という変則ギリシア語

 アンティオキア教会で一同が礼拝をささげ断食していると、「さあ、バルナバとサウロを私のために選び出しなさい。私が前もって二人に決めておいた仕事に当たらせるために」という聖霊のお告げがあり、パウロの第一伝道旅行が始まります。このときもまだ先輩であるバルナバの名前が先になっており、パウロの名前もまだユダヤ教時代のサウロとなっています。そして139節で初めて、「サウロ、またの名はパウロは聖霊に満たされて」となっています。そしてさらにここからはバルナバではなくパウロの名前の方が先に書かれるようになり、以後はパウロが中心人物となります。

 ところでパウロという名前自体にラテン語で「小さい」という意味がありますが、エフェソの信徒への手紙では、名前だけでなく自分自身について、「聖なる者たちすべての中で最もつまらない者」であると言っています。面白いことに、この個所では「小さい」というギリシア語「ミクロス」という形容詞の最上級をあらわす「エラキストス」つまり「最も小さいjというギリシア語をさらに比較級に変化させて、「エラキストテロス」つまり「最も小さい者よりも小さい」という文法を逸脱したギリシア語を使っています。

※ ミクロス(小さい、英語のlittIe)、ミクロテロス(より小さい、less)、エラキストス(最も小さい、least)、エラキストテロス(最も小さいものよりも小さい)。

※ ヨハネの手紙三、4節では、同様に、メガ(大きい、英語のlarge)、

メイゾーン(より大きい、larger)、メギストス(最も大きい、largest)の更に比較級に変化させてメギストテロス(最も大きいものよりも大きい、more largest)。

(3) キプロス島における宣教

パウロの第一伝道旅行はまず、先輩バルナバの故郷キプロス島に向かいます。そこにはセルギウス・パウルスという名の地方総督がいました。この島は紀元前57年にローマ共和国の領土となり、2年後にはキリキア州に編入され、さらに紀元前27年にローマが共和国から帝国に変わってからは、皇帝の直轄地として独立してキプロス州となり、5年後の紀元22年には元老院に譲り渡されて普通の州となり、そこを治める地方総督が派遣されるようになりました。第一伝道旅行では、まだ若いヨハネ(・マルコ)を「助手」(135節〉 として連れて行きました。彼はバルナバのいとこ(コロサイの信徒への手紙410節)でしたが、なぜか伝道旅行の途中で勝手にエルサレムに帰ってしまったので、後にパウロから、「第二伝道旅行にヨハネは連れていかない」と言われてしまいます。このヨハネ・マルコはずっと後になって、イエス・キリストの最初の伝記である「マルコによる福音書」の著者となったと推測されています。

4)ユダヤ人を見限って「異邦人のための使徒」となるパウロ

キプロス島からトルコ半島に渡った(「バルナバとその一行」ではなく)「パウロとその一行」はビシディアのアンティオキアでユダヤ教の会堂(シナゴーグ)に入って大説教をします。主イエスの場合も使徒パウロの場合も、宣教の当初はユダヤ地方あるいはローマ帝国の各地にあったユダヤ教会堂で説教していますが、徐々に排斥されていきます。この時のパウロは安息日にアンティオキアのユダヤ教の会堂で旧約聖書の詩編(221610)、イザヤ書(496)、ハバクク書(1:5)などを引用しながら、ナザレのイエスこそ旧約聖書が予言しているメシア

(キリスト)であると力強く語っています。すると多くのユダヤ教徒や異邦人(つまりローマ人、ギリシア人など)のユダヤ教への改宗者ないし求道者は熱心に耳を傾け、来週も話をしてくれと頼み、集会後もパウロとバルナバの後についてくるほどでした。次の安息日に日に、ほとんど町中の人々(多分、ユダヤ教徒以外の異邦人、つまりローマ人やギリシア人がほとんどだったと思われます)がパウロの言葉を聞こうと集まってくると、ユダヤ教徒は嫉妬に駆られてパウロの話の邪魔をしました。その姿を見てパウロはユダヤ教徒伝道を見限り、以後は異邦人伝道を目指すようになりました。その時、パウロとバルナバは次のように宣言しています。

「神の言葉はまずあなたがた(ユダヤ人)に語られるはずでした。だがあなたがたは

それを拒み、自分自身を永遠の命を得るに値しない者にしている。見なさい、私たちは(今後)異邦人のほうへ行く。主は私たちにこう命じておられるからです。『私はあなたを異邦人の光と定めた。あなたが地の果てまでも救いをもたらすために。』」(イザヤ書496節)こうしてパウロは名実共に、「異邦人のための使徒」(ローマの信徒への手紙1113節、使徒言行録186節)となったのです。

5)現代のキリスト者、キリスト教会への警告こうしたことは現代に生きる私たちキリスト者あるいはキリスト教会に対する警告にもなっています。つまり、どれほど建前としてイエス・キリストの名前を掲げ、聖書の言葉を振りかざしていても、教会に実質がなくなれば、イスラエル民族やユダヤ教徒と同様、キリスト教会もまた神さまから見放され捨てられるということです。マタイによる福音書第3章で、バプテスマのヨハネが当時の律法主義的ファリサイ派や世俗的なサドカイ派の人々に対して叫んだ警告は、主イエス・キリストの福音の道備えのためでしたが、それは同時に、現代の自己満

その個所(マタイによる福音書3712節)を読んでみましょう。

 「(洗礼者)ヨハネは、ファリサイ派やサドカイ派の人々が大勢、洗礼を受けに来たのを見て、こう言った。「まむしの子らよ、差し迫った神の怒りを免れると誰が教えたのか。悔い改めにふさわしい実を結べ。『我々の父はアブラハムだ』などと思ってもみるな。言っておくが、神はこんな石からでもアブラハムの子たちを造り出すことがおできになる。斧は既に木の根元に置かれている。良い実を結ばない木は皆切り倒されて火に投げ込まれる。私は、悔い改めに導くために、あなたたちに水で洗礼を授けているが、私の後からくる方(メシア・キリスト)は、私よりも優れておられる。私はその履物をお脱がせする値打ちもない。その方は聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。そして手に箕を持って脱穀場を隅々まできれいにし、麦を集めて倉に入れ、殻を消えることのない火で焼き払われる。」6)永遠の命に定められている人、永遠の命を得るに値する者
 私たちの信仰は、自分が努力しただけで獲得できるものではなく、あくまでも神さまからの賜物であり、頂き物であります。しかし、いつでも受身でいればよいというものでもなく、主体的に意欲的に信仰の道を求めていかなければなりません。罪の問題も、私たちが自分の欲望に引かれて罪を犯すのですから、罪を犯さないように罪を犯す危険を避けたり、罪を犯さないですむように工夫することか求められます。私が学生時代に教会学校の教師をしていたころ、子ども向けのある信仰書を読みました。それはいのちのことば社発行の『ジャングル・ドクターの教え』?というような題の本だったと思います。その本の中に、ジャングル・ドクターがアフリカの黒人の子どもに罪の恐ろしさと罪とたたかう方法を分かりやすく教えていました。

「ジャングルの中で、いっぴきの猿が、おもしろがってはげたかにえさをやっていると、はげたかがどんどん集まってきて、最後にはその猿もはげたかに食べられてしまったんだ。いくら面白いからといって、危険なはげたかにえさなどやってはいけないよ。罪もそれと同じで、罪を犯すスリルを味わっているうちに、いつのまにか罪から逃げられなくなってしまうんだ。罪かな?と思ったら、それをやめるようにしなければいけないよ。面白がって罪をほうっておくことは罪を育てているようなもので、はげたかにえさをやると同じ大変危険なことなんだよ。」とジャングル・ドクターは教えています。

たとえば、聖書の中に、「怒ることがあっても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで怒ったままでいてはいけません。」という言葉があります。(エフェソの信徒への手紙4章26節)私たちが人から何かひどいことをされて怒るのは仕方がないことです。しかし、それをいつまでもそのままにしておいてはいけないのです。むしろそれを忘れるように、あるいは発想の転換をして処理しなければなりません。つまり自分で、自分の心をケアするということでしょうか。まして、怒りをつのらせ拡大するようなことをしてはならないのです。むしろ逆に、そういう時にこそあらためて聖書の言葉に耳を傾ける必要があります。たとえば、「いつも塩で味付けられされた快い言葉で語りなさい」(コロサイの信徒への手紙4章6節)という聖句を思い出して、自分の怒りを早目におさめる努力がキリスト者にふさわしいことなのです。

 アンチイオキアのユダヤ人は使徒パウロから、「あなた方は神の言葉を拒み、自分自身を永遠の命を得るに値しない者にしている。」と決め付けられてしまいましたが、異邦人たちについては逆に、「永遠の命を得るように定められている人たちはみな、(キリスト教)信仰に入った。」と記されています。私たちもまた、自分が「永遠の命を得るように定められた者」であると信じて、自分白身を「永遠の命を得るに値する者」になるよう心がけたいものです。

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