「みんなちがって みんないい」

マタイによる福音書25:1430.(07.10.21)

大津健一牧師

(日本クリスチャンアカデミー所長)

私は、アジアキリスト教協議会の「開発と奉仕」部門担当幹事として、シンガポール、タイをベースに8年間アジアの教会と共に働きました。当時私のような幹事が、インドやフイリピンなどアジア8カ国から来ていました。共通語は英語でしたが、互いにお国なまりの英語でコミュニケーションをとっていました。当時私は国籍や民族は違っても、“主イエス・キリストにあって一つ”と言う言葉を新鮮なものとして理解していましたが、働けば働くほど、いろいろな問題で同僚と意見の食い違いを見ました。あるときは、スタッフ会議の席上、当時の総幹事パク・サンジュン先生に、「私はあなたの意見に反対です」と言った途端、先生は激怒して「もし君が僕の意見に反対なら、君の意見を言ってみろ!」と言われたことがありました。僕の育った日本社会の経験では、あまり自分の立場を明らかにしなくても、反対とか賛成とか言うことによって、周りの人は、ああ、あいつは賛成だなとか、反対だなとか、それが一つの意見のように取り扱われる共通理解があるように思います。しかし、国際社会では、十分な説明なしに共通理解を得ることは大変難しいと言うことが分かりました。

 アジアでの働きを通して、最も単純なことで、しかし最も大切なことですが、私たちの国籍や民族、文化などが違うと、それぞれ違うということでした。互いの違いを認め合い、その違いを尊重する、そこからでしか共通の場が生まれてこないように思います。それは、仏教やイスラームなど、他の信仰を持つ人々との関係においてはなおさらのことだと思っています。

今日の聖書でイエス様は、天国について譬えを用いて語っておられます。聖書の中では、「天の国」とか「神の国」と言う場合、それは、地理的概念ではなく、「神の支配」を意味しています。そして今日の聖書に出てくる「あるひと(主人)」は「神」、「僕(しもべ)」は「私」と置き換えて読んでいただくと、具体的に私たちに語りかけられている言葉として聞くことが出来ます。

 イエス様は、この譬えを通して、私たち一人ひとりは、異なったタラントン(ギリシャ語。お金の価値に見合う金や銀の重さ、1タラントン=6000デナリに相当。

1デナリは農業労働者の1日の賃金)を神様から与えられていると語っておられます。今日の「タレント(才能)」という言葉の語源だといわれています。

主人が、3人の自分の僕(「奴隷」の意)に、それぞれ5タラントン、2タラントン、1タラントンを預け、旅に出ました。当時としては、かなりの大金を僕に預けたことになります。ここでイエス様は、その人の能力に応じて違った賜物(タラントン)が与えていることを、私たちに指し示しておられます。5タラントンを与えられた人が、2タラントンを与えられた人よりも立派だとか、偉いということを一切語っておられません。大切なのは、私たち一人ひとりが違った賜物を与えられているということです。主人から5タラントンを預かった僕は、商売をして他に5タラントンを儲けました。2タラントンを預かった人は、他に2タラントンを儲けました。ここでは、その賜物を有効に用いた僕が主人にほめられています。私たち一人ひとりに与えられた違った賜物を、私たちが、神の御心に沿って、如何に誠実に用いたかどうかを問題にしておられます。それぞれが、神から与えられたタラントンをもって、神に対して誠実に生きることの大切さを語っておられます。

 一方、1タラントンを預かったもう一人の僕は、それを安全のため地中に隠し、1タラントンのまま、主人に返したとあります。イエス様の時代は、大金を地中に隠すことは安全のために最良の方法だと考えられていた時代でした。彼の行為は、間違っていたわけではありません。しかし、イエス様は、何も生み出さなかったこの行為を厳しく批判しておられます。この1タラントンを地中に隠した僕の行為は、自らの安全を考えて、何の働きもしなかった人の姿が示されています。そこでは、神に誠実であることが、自らの益に誠実であると誤解している人の姿が表されています。如何にすばらしい賜物を与えられた人であっても、自らの才能を輝かすためにのみ自らの才能を用いた人のあり方は、たとえそのことによって社会的名声を得ようとも、神様の目から見るならば無価値なもの、批判されるべき生き方だと言われています。 私は、今日のみ言葉に出会ったとき、金子みすゞ(1903−1930)の詩を頭に思い浮かべました。

私と小鳥と鈴と

私が両手をひろげても、

お空はちっとも飛べないが、

飛べる小鳥は私のやうに、

地面(じべた)を速くは走れない。

私がからだをゆすっても、

きれいな音は出ないけど、

あの鳴る鈴は私のやうに、

たくさんな唄は知らないよ。

鈴と、小鳥と、それから私、

みんなちがって、みんないい。

(「金子みすず全集」JULA出版社)

金子みすゞは、山口県の出身でしたが、夫との関係で悩み、27歳の若さで自らの命を絶ちました。一人ひとりの違いを認めない村社会の中に身を置きながら、日常的な言葉で、彼女の思いを詩にしました。今日の時代、一生懸命生きながら、多様な働きや才能、また存在が認められない人々に、この詩は共感の場を作り出したと言えます。そしてこの詩には、一人ひとりの存在を見つめていこうとするみすゞのやさしさがこめられています。

 イエス様は、タラントンの譬えを通して、みすゞの詩のようにあなたはあなたでいいのだ、と言っておられます。一人ひとりは、神様から他の人とは違った賜物(タラントン)を与えられています。その賜物を神様との正しい関係のために、また人と人との正しい関係のために用いて生きることが、私たち一人ひとりに与えられた尊い使命であると言えます。

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