悪魔に仕える教会

山本三和人

 中世は一見、神の栄が最も強く地上に現れた時代であったように見えます。しかし、中世の意味中心の位置を神に代わって人間の組織としての教会が占めてしまうと、その組織の維持のために、神に仕えるポーズの裏で、悪魔に仕える教会の姿となりました。中世の教会は、キリスト教が毅然として拒絶した悪魔の第三の誘惑を受け入れ、政治経済の全領域に及ぶ主権と支配を欲しいままにしたのです。教会がキリストの体であることは間違いありませんが、同時にそれは人間の組織であることも事実です。人間は、霊においては神に仕え、肉においては罪もしくは悪魔に仕えている者であることを忘れ、神の法廷の被告席を離れ、原告の席についたり、裁きの人の席を占めたりするようなことにでもなれば、教会は歴史の中の過ちを再び繰り返すことになります。K・バルトは「はじめに人間が組織をつくり、あとで組織が人間の自由を束縛する」と言っていますが、人間の組織としての教会も、組織としての発展と成長を遂げていく中で、キリストの愛の賜物としての自由を信徒大衆の手から奪って、彼らを「奴隷のくびき」につなぐような過ちを犯すことがないようにしなければなりません。それには、私たちが「心では神の律法に仕えているが、肉においては罪に仕えている」という人間の真実を心にとめて、「思い上がること」なく、あくまでも謙虚に思い、語り、かつ振舞いたいと思います。

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