神と共に

山本三和人

 私たちキリストにある神の愛と恵みの皮袋の中で確立される信仰生活においてのみ、神と共にあることができます。しかし、私たちが自分の力でキリストにすがりキリストをつかまえて、死んでも離さないというような形で共にあるのではありません。自分の知恵の力でキリストが教会と世界の主であることを知り、その認識の正しさを確信してキリストから離れないというような形の共存は、決して永続する共存ではありません。そのような人間の確信にも、その確信を持ち続ける力にも限りがあるからです。ゲッセマネの園における弟子の姿を見てイエスが言われたように、「心は熱しているが肉体が弱い」のが人間です。心ではどんなに迫害にあっても、迫害が激しくなると、心ならずもキリストを知らないと偽りの証をたててしまいます。そのことはキリストと共にいたペテロの偽証をみてもわかります。キリストが「あなたがたは天を指して誓ってはならない」と教えられたのも、人間の弱さを知っておられたからです。私たちが神と共におるのではなく、神が私たちを愛し、私たちと共にいてくださるのでしたら、私たちを神の愛から引き離し得る者は、どこにもいません。キリストにある神の愛を信じ、キリストにある神の愛にとらえられた信仰生活においてのみ、神が私たちと共にいまし給うのです。

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