山本三和人

 現代の人々の旅へのあこがれの中に「ここ以外のどこかへ一度でもいいから行ってみたい」という願いが含まれているとすれば、これは警戒が必要です。家の中から家の外へのあこがれは、都会から自然へのあこがれに通じ、さらにこの世から未来へのあこがれに通じかねないからです。
 ローレンスの作品『黙示録』は、彼の時代の鉱山労働者たちが、現世の苦しみが大きければ大きいほど来世の幸福は大きいのだという宗教信仰が、彼らをいつまでも貧しさとj不自由の中にとどまらせた姿が描かれています。現世の不当な人間の条件をそのまま温存することに奉仕するような者は、それが思想であっても宗教信仰であっても今日の世界では顧みられなくなるでありましょう。「神はそのひとり子を賜ったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世につかわされたのは、世をさばくためではなく、御子によってこの世が救われるためである」(ヨハネ3:16)。この短い言葉の中に「この世」という言葉が四回も使われています。人間は社会的存在です。信じる者が一人も滅びることがないために、その信じる人がその中に生きている「この世」を愛して、これに御子を与え、御子をとおしてこれを救い給うた、というこの言葉は、私たちの救いが、決してひとり子の主観的観念論ではないことを表しています。

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