自分を愛するように

山本三和人

 自己愛は、キリスト教会ではよく悪徳として戒められています。しかし、この事実を認めることから始めなければ、偽りの生を綴ることになります。私たちが真実の意味で自分をしか愛し得ないということは、私たちが罪人であるということの証しです。この現実を確認することから私たちの信仰生活が始まります。「自分を愛するように隣人を愛しなさい」という戒めは、人は誰でも自分を愛するようには他人を愛することはできない。という人間の悲しい現実を暴きます。人が他者を愛する時、愛は必ず他者の持つ何かによって動機づけられます。ある時は他者の持つ美によって、ある時はその善によって、ある時はその真、または血肉によって始動せしめられるのが人間の愛です。他者に注がれる人間の愛が他者の持つあるいは、他者の行う何かによって誘発されるということは、人が他者を愛する時でもその愛の本当の対象は自分自身であるということです。しかし、自己愛は他に誘発されて始動するものではありません。人が他の何者よりも自分自身を愛するのは、自分が他の何者よりも美しいからでも、善良であるからでも、偽りのない真実な生を営んでいるからでもありません。すなわち、自己愛は最も自然な自発的な感情にもとづく言動です。しかし、自分を愛するようには他人を愛することはできません。戒めに背いていながら、守っているようなポーズをとるのは偽善です。

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